コラム
「僕の彼女はケツユウ病」前編
☆この文章は、医療者ではない一般の人が、初めて血友病という言葉を知り、自分で調べながら理解していく過程を記録しています。ついては、本文中に一部、医学的には正確ではない表現も含まれており、その部分は「※」で注釈を加えています。あわせてご覧ください。
これまで文章はろくに書いたことがないし、日記も3日と続いたことがない。
そんな僕がこの記録を書こうと思ったのは、もしかしたら、確率としてはとても少ないかもしれないけど、今後同じ経験をする人がいるかもしれないと思ったからだ。
もしあなたがその1人だとしたら最初に言っておきたい。
今決断できず迷っていることを全く恥じる必要なんてない。
だから「そう考えてしまうのは自分だけじゃないんだ」と安心してくれたらいいなと思う。
僕の彼女はケツユウ病のホインシャだ。
実際の表記はカタカナではない、けれども正しい表記もわからないくらいに僕は無知だった。
僕の名前は、大西友和。
都内の大学を卒業して、中小メーカーに就職。今年で28歳になる。
大学の友達の紹介で出会った彼女、カナコとはそろそろ付き合って2年。
とても気が利くし、僕の友達との集まりにもイヤな顔一つせず来てくれて、
いつもケラケラと笑っている彼女。
カナコとなら幸せで温かい家庭を作っていけそうだな。
3ヶ月後の彼女の誕生日にプロポーズをしようか。
そんなことを考えていたある日、彼女からLINEが入った。
「今度会うとき、あなたに話しておきたいことがあるの」
「分かった、映画が16時からだからその前でもいい?」
「うん」
何だろう、カナコにやましいことはした記憶はない。
もちろん彼女もそんなタイプではないし、もしかしたら転職でもするのかもしれない。
そして当日。
カナコは「お待たせ」と普段と変わらない穏やかな笑顔で僕の前に座った。
僕は彼女の落ち着き払った表情が何となく怖くて、これから見る映画の話だったり、あの映画も見てみたいなんてどうでもいい話を続けた。
するとカナコがLINEと全く同じセリフを言った。
「あなたに話しておきたいことがあるの」
否応なしに僕は口をつぐみ、次の言葉を待った。
「私、ケツユウ病のホインシャなの」
今思うと、僕だったらそんなにストレートに言えただろうかとあの日の彼女を思い返す。
凄く緊張していただろうし、胸の内はきっと震えていたことだろう。
そんな様子は微塵もみせずさらりと言い切る強さが彼女にはある。
「ケ、ツユウ病?」
「そう、血に友達の友で血友病。血を固めるための血液凝固因子を持ってないから出血が止まりにくい病気のことなんだけど、保因者っていうのは血友病の遺伝子だけ持ってて発症はしない人のことなの」
初めて聞く単語ばかりで話が全く頭に入ってこない。
「ちょっと待って、てことはその血が止まりにくい病気にカナコはならないってこと?」
「うん、私は発症しない」
「発症はしないんだ」
「だけどね・・・子供には遺伝する可能性があるの」
「えっ」
「私は日常生活に困るわけじゃないから人には、、友達にも話してないんだけど、あなたとはもう2年経つし結婚の話が出るかもしれないから。あなたがもし結婚を考えてくれてるとしたらその前に伝えないとと思ったの」
僕は事の重大さが測り切れずにいた。
彼女が発した”結婚”という単語に「え、なにこれ逆プロポーズ?」と考えていた僕の脳内は本能的に現実逃避していたんだと思う。
彼女が発した”結婚”という単語に「え、なにこれ逆プロポーズ?」と考えていた僕の脳内は本能的に現実逃避していたんだと思う。
「遺伝、するんだ」
「うん、男の子の場合、その子が血友病で生まれてくる可能性がある」
「血が止まりにくいって怪我したらどうするの?」
「注射を打って血を止めるの。普段も毎週注射は欠かせない※1し、車椅子で生活してる人もいる」「そうなんだ。血友病って初めて聞いたな。」
「もし本当に結婚を考えるなら、あなたにも考えてもらわないといけないから。子供をどうするか、とか」
結婚すら現実味のない僕に、子供のことを考えるだなんて。
その子供が車椅子生活になるかもしれない?
毎週注射をしなくちゃいけない?
うちの親はどう言うんだろう。
突如突きつけられた、絶望感すら感じられない難題に思わず僕は気が遠くなった。
その後カナコとどんな話をしたのか、正直覚えていない。
そしていつもより早めに行った映画館でもろくに話をしなかった、何を言ったら彼女を傷つけるのかが分からなかったし、何かを話すと責任を取らなければいけないような気もした。
映画を見る間の、2時間の空白が有難かった。
映画を見終わるとふらふらとウインドウショッピングをして別れた。
別れ際に彼女は「さっきの話、ちょっと考えてみてね」と言った。
「血友病とは」
「血友病 遺伝 確率」
「血友病 症状」
と手当たり次第に調べていた。
それからというもの、血友病について調べることが日課となっていた。
とりあえず数日で理解したことは
・血友病はX染色体に異常が生じる病気。
・女性は性染色体がXX、男性はXY。女性の場合染色体の一方に異常が出てももう一方が正常であるため症状として現れないが、血友病の原因となる遺伝子は持っているので自分の子供が血友病、もしくは保因者になる可能性がある。
・血友病の保因者から血友病の子供が生まれる確率は1/2※2。。
分かったようで分からない。
そもそも、結婚ですら「そろそろかな」ぐらい軽く考えていた僕にとって、
自分の子供について考えるのはあまりに現実離れしていた。
市の大会でも予選止まりなのに、全国大会でどう活躍するかシミュレーションしているかのような。下手な例えしか出てこない。
つまり「子供が遺伝する」ということの重みをどう捉えていいかが分からなかった。
血友病について調べているのは将来の子供の心配というよりは、カナコのためという気持ちが強かった。
彼女が意を決して伝えてくれた想いに、僕が血友病を詳しく知ることで応えたかったのだ。
でも、血友病の病気や遺伝の仕組み、現在の治療法などはなんとなく知ることができたけど、
血友病の保因者のパートナーの話という一番知りたい話はどれだけ調べても見つけることはできなかった。
保因者と結婚する男性は何に悩んで、そして決断してきたのか。
「そんなに大したことじゃない」なのか、
「軽くみているとこれからの人生ですごく大変な思いをするぞ」なのか。
それが知りたかった。
それを知らずして決意することは、情けないけどとても僕にはできなかった。
カナコとの関係はというと、その後も変わらずに日常的なやりとりが続いていたし、
彼女から”僕の答え”を聞いてくることは一切なかった。
これ以上血友病について調べても、情報は増えるけど何か僕に答えを出してくれる訳じゃない。
彼女の告白から1週間後、仕事終わりに神楽坂のよく行くレストランで待ち合わせた。
よく行くわけではないけど、何か大事な話をするときは真っ先にこの一軒家を改装したイタリアンを思いつくのだ。
血友病の話を切り出せずに30分ほど時間が経ってしまった頃、
「それで、考えてみてくれた?血友病のこと」
と見兼ねたカナコが助け舟を出してくれた。
「あ、俺なりに色々調べてみたよ」
「この店を予約したって言われたから、何か話してくれるんだと思ってた」
神楽坂のレストランでは大事な話をするということは彼女にはバレていたらしい。
「なんで血友病になるのか、どういう症状があるのかということはざっくりとだけど分かった。その上で、子供にどういう影響があるのか、親がどれほど大変なのかは分からなかった。だから、覚悟を決めたくても決めることができずにいるというのが今の正直な気持ち」
「ありがとう。友和が調べてくれてたのはすごく嬉しいし、話してよかったなと思う。
私はこれまで28年間ずっと保因者という意識で生きてきた訳ではなくて、高校生になった頃お母さんから話をされて知ったんだよね。私もその時色々調べて保因者についての情報が十分じゃないことは知ってたから。保因者の女性が付き合っている相手にどう伝えてきたのかだったり、そもそも皆結婚しているのかも分からなかった」
「俺も同じことを思ってたんだよね。相手の男性がどう思って決断したのかは何を調べても出てこなかった」
「確かに、私も保因者の旦那さんのインタビューとかは見たことないかも。情報が足りない中で決断を迫ってごめんね。友和がもう少し血友病について知りたいと思ってくれるなら是非会って話を聞いてみてほしい人がいるんだけど。その人なら保因者の旦那さんのことも分かるかも」
「それは、是非会ってみたいな。何の人?」
「血友病患者のための活動をしてる団体で、そこで働いている柿沼さんは私が20歳くらいから何かあれば相談してきたんだよね。それこそ私が短期留学した時もすごくお世話になったの。友和の話をしたら、必要だったら連れてきてねと言ってくれてるから」
こうして僕ははばたき福祉事業団の柿沼さんという方と会うことになった。
つい1週間前までは知らなかった世界に足を踏み入れ、一気に広がろうとしている。
そこに怖さと不安があるのは確かだけど、飛び込まないと先に進めない。
カナコとの結婚を真剣に考えるために。