コラム
「ホインシャって、病気?」前編
私の名前は大西加奈子、32歳。
3年前に結婚して、1歳になる娘、美優がいる。
夫の友和はちょっと優柔不断なところがあるけど
とても思いやりがあって優しいところは出会った時から変わらない。
最近では夜泣きする美優に悪戦苦闘しながらミルクをあげてくれてる。
お休みの日に3人で散歩していると幸せで愛おしい気持ちになるし、
目の下に隈を作りながら全力で美優を”たかいたかい”してくれる友和には感謝しかない。
「こんな日が来るとは、思わなかったな。」
しみじみと心の中でつぶやく。
私は、血友病の保因者だ。
血友病そのものではないが、血友病になる遺伝子を保有しているから”保因者”。
保因者に関する正しい情報を手にいれることは容易ではないし、
血友病保因者という存在を知っている人は私たちの世代にはほとんどいない。
初めて友和に打ち明けた時のポカンとした表情を思い出すと、ちょっと笑ってしまう。
自分が知らないことに対する人の反応は様々だ。
恐怖や不安を感じる人もいれば好奇心を持つ人もいる。明らかな拒絶反応を示す人もいた。
保因者だと打ち明けた時の周りの反応に心を揺り動かされないように、私にはいつからか感情を表情に出さない癖ができてしまった。
「加奈子ってクールだしすっごく頼れる」
と決まってそう言われるが、本当は違う。
末っ子の私は親戚中から”甘えん坊のかなちゃん”と言われてきた。
前置きが長くなったけど、今回は血友病保因者の女性に向けて私が、思春期・結婚・出産をどのように乗り越えてきたのか伝えたい。
というか柿沼さんから、「あなたの経験を10代とか20代の保因者女性に伝えたい」から書いて欲しいと言われたから書くのだけど。
最近、友和も柿沼さんから頼まれて”保因者の夫になる”までの気持ちを文章にまとめていた。
友和が文章を書けることが意外だったのは置いておいて、私が彼に初めて打ち明けた時の葛藤が垣間見れてとても新鮮だったし、すごく正直な内容に「やっぱりこの人と結婚してよかった」と思えた。
今後結婚や出産というライフイベントを迎える保因者の女性の悩みや不安を和らげられたらと思い、10代の頃まで遡りながら私が経験したことを書き記していきます。
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私が血友病保因者であることを知ったのは高校2年生、父が亡くなった時のことだった。
父は私が小さい頃から定期的に病院に通っていたけど
「お父さんは生まれつきの持病があるから」
という母の説明にそれ以上何か聞くことはしてこなかった。
父の葬儀が一通り終わって1ヶ月くらい経ったある日、母から突然打ち明けられた。
「実はお父さんは血友病という遺伝の病気だったの。そしてあなたはその遺伝を受け継いでいる保因者なのよ。」
脳内は「???」に溢れ、耳から入ってくる情報に理解が全く追いつかなかった。
「血友病って何?」
「私も病気ってこと?」
「治療は必要ないの?」
「なんで今まで黙ってたの?」
実はその時のことはあまり記憶にないのだけど母にまくし立てた気がする。
「お母さんは詳しく分からないから。お父さんとも血友病についてはあんまり話をしてこなかったのよ。」
その、他人事のような母の一言がショックで何も言えなくなってしまった。
母にとって私が保因者であることはあまり触れたくないことで、私が血友病について聞くことは母を困らせるだけなのかもしれない。
そう感じ、血友病については家庭内で話をすることはなくなった。
そのタイミングで母から紹介してもらったのが、はばたき福祉事業団だった。
分からないことをそのままにしておくことができない性分の私は、事務局長の柿沼さんにコンタクトを取った。友和に血友病について詳しく説明してくれた、あの柿沼さんだ。
母から返ってこなかった質問を柿沼さんにぶつけると、一つ一つ分かりやすく説明してくれた。
血友病の全容が分かってくると不思議と不安が和らいだような気がした。
そしてその時、生理の出血量が多いのが保因者であることが原因かもしれないことを知った。
これは母にも話していないことだけど、昔から生理がとても重いことが悩みだった。
生理中はとにかく出血が多く、毎日学校に多くの生理用品を持っていくことが億劫だったし、長時間の移動が無理なので修学旅行に行くのを悩んだほど。
それが普通だと思っていたので、
「みんなは一体どうしてるんだろう」という疑問が解決したことが自分の中ではとても大きく、何かあるたびに柿沼さんに相談をするようになっていた。
なんでも「あっはっは」と笑い飛ばしてくれる柿沼さんは、第2のお母さん(年齢を考えるとそこまで離れていないので失礼)のように感じていてそれこそ大学受験期のスランプなんかも相談していたほどだ。
自分が保因者であることを意識することは、日常的には全くないと言っても過言ではない。(私の場合は生理の時にふと思い返すくらい)
大学に入学し、将来海外で働くことが目標だった私は英会話サークルに入り、学生ながらに忙しく充実した日々を過ごしていた。
次第に柿沼さんに会いにはばたきに行くこともなくなり、数年間は血友病とは全く離れたところにいた。
そんな私が保因者であることを強烈に意識せざるを得なくなったのは、社会人になって3年目のこと。友和にも詳しくは話していないけど、私には結婚を意識する彼がいた。
彼は、私が新卒で入社した大手旅行代理店の4年先輩。
部署が同じだったためチームで食事に行く機会も多く、1年目の秋に成り行きで付き合うことになった。
付き合って2年経った頃、彼から「親に合わせたい」「30歳までには結婚したい」と結婚を意識するような言葉が多くなってきた。 結婚かあ、彼は信頼できる人なのでアリだけどまだ現実味がないなと考えていた矢先に彼からプロポーズを受けた。
もう少し先の話だと思っていたので驚きながらも、私は勢いでOKを出してしまった。
彼はものすごく喜んでくれた。
そこまで想っていてくれていたことが嬉しかったし、「うん、これでいいんだ」と思えた。
だけど、その帰り道でふと気がついてしまった。
「あ、私彼に血友病のこと、話してない。」
まあ私は血友病ではなく保因者だし、最近の医療について知ってもらえたら問題ないだろう。
話すのは早めがいいから次のデートの時に少し時間をもらおう。
そう頭の中で簡単に片付けた私は、余韻に浸り直すために数時間前のプロポーズを思い返していた
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「え、マジで。そういうことは結婚を決める前に言っておくべきことじゃない?」
彼の乾いた声がやけに大きい声に聞こえる。
「本当にごめんなさい。いきなりのプロポーズだったから、私も話すタイミングを逃してしまって。でもね、保因者というのは病気ではないし、今は血友病患者も健常者と全く同じように生活できるみたいなの。」
「いや、そういう話じゃないだろ。」
そう言われてしまうと、どう話していいのか分からなくなり、私は言葉をつぐみ、心の中で呟く。
「あー、こうなってしまうのか」
これまで保因者であることを、必要以上に大きく捉えないように務めてきた。
だって実際、私は問題なく生活できているし、血友病患者にしたって治療が良くなったので昔とは違って運動も問題なくできると柿沼さんから聞いてる。
だから、周りの人がどう捉えるかという点に少し鈍感になっていたのかもしれない。
「血友病のことをもう少し知ってもらえたら、安心してもらえると思う。」
「血友病がどうこうって話じゃないよ。こんな大事な話を今になって・・・。」
そう話すと彼はお会計を済ませて店を出て行ってしまった。
隣の席からの視線を感じてすごく惨めな気持ちだったし、自分がとんでもなく悪人になったような気分だった。
“私だって数年前にいきなり聞かされただけだし”
そう呟くも、その言葉は誰の耳にも届かない。
結局、彼から連絡が来ることはなく、職場でもお互い避けていたので話すことはなかった。
これまでの彼と私の関係は何だったの?私の結婚は血友病によって跡形もなく消え去ってしまうの?
後編へつづく